スイートジャスミンティー  


2  

 

私は、心と体を同時に、うまく愛することができない。
それは、初めて男を知った少しあとに気付いたことだ。私にとって好きでない男と寝ることは、好きな男の手を握ることより簡単なことだった。体を愛されることと、心を愛されること、それがどうしても一つにならない。逆に、愛していると思っている男とのセックスでも、私の体が反応することはなかった。
私の心と体は、きっと分離している。
もっと若い頃は、まだ夢を見ている自分がいた。心も体も愛することができる本当の相手と出会うことが出来る、どこかでそう願っているいたから。
圭一と結婚したのは、圭一が私の心を満たしてくれる男だったからで、夢にみていた男だったからではない。圭一のことを愛しているか、と訊かれれば、私は躊躇なく頷くことが出来る。でも、体は圭一を積極的に求めようとはしなかった。圭一とのセックスには、何の感慨も生まれない。はじめは普通の恋人だった私たちも、そのうち不自然なまでに体を求め合わなくなった。今考えると、圭一も同じ気持ちなのかもしれなかった。
修平と出会ったのは、近所のカフェだった。当時、私はそこでよく絵本を読んでいて、修平が言うには、彼の書いた絵本を読んでいた私に、彼が声をかけたらしい。不思議なことに、私の記憶からは、修平と出会ったときのほとんどすべてが抜け落ちていた。
修平と過ごす時間は、とても満たされていると思うのに、修平といないときの私は、修平の体しか思い出せない。まるで、圭一以外の男のことは、セックスしか記憶できないように。
「なに考えてるの?」
修平の声がして、我に返る。
「なにも。余韻に浸っていただけ」
そう言って微笑むと、私の中に入ったままの修平が、少しだけ反応した。
修平の体はとても魅力的だ。私の欠けた部分を隙間なく埋め、肌は吸いつくように私を求めてくる。こんな体は初めてだった。
薄いカーテンを引いただけの開け放した窓。修平の部屋には、真昼の光が溢れている。ベッドの周りには、時間を惜しむように脱ぎ散らかした二人分の服が散らばっていて、ソファの前に置かれた小さなテーブルには、服を脱ぐ前に飲んでいた紅茶が、大きなカフェオレボウルに入ったまま冷めている。
「お茶を入れなおすわ」
修平の腕から抜け出そうと身をよじると、彼の細い腕が、私を強く抱きしめた。
「ダメ。まだ、離れたくないから」
修平の声は甘い。いつでも私を甘やかし、心地よくさせてくれる。
「喉が渇いたの」
「じゃあ、キスしてあげる」
言いながら、舌を絡めてくる。もちろん、私がそれを拒めるはずもなく、そのまま彼の柔らかな熱を受け入れた。
窓から入る風に、汗ばんだ体が冷えた頃、私たちはようやくお互いを解放した。シャワーを浴び、服を身につけ、鏡の前で化粧をしていると、修平が湯気のたったカフェオレボウルを差し出した。
この部屋には、紅茶茶碗がない。そして修平は、なんでもカフェオレボウルで飲む。水も牛乳も熱い緑茶も。彼の嫌いな紅茶以外の、すべてのものを。
出会ったばかりの頃、私が紅茶党だと知った彼は、キッチンに紅茶を置くようになった。アールグレイとフレーバーティーを数種、そして私のいちばん好きなジャスミンティーを。
手渡された大きなカフェオレボウルからは、穏やかなジャスミンが香り、熱に浮かれたさっきまでの私を、少しずつリセットしてくれる。
「訊いてもいい?」
二人でソファに並び、テレビを見ながらお茶を飲んでいると、不意に修平が言った。
私はなんだか嫌な予感がしたので、小さく、だめ、と答えたのだけれど、その声が聞こえなかったように、修平は続けた。
「あさみさんは、どうして俺と寝るの?」
あまりに直球な質問に、私は思わず苦笑してしまう。
修平はいつも真っ直ぐだ。それをぶつけられると、私はどうしていいのかわからなくなる。
黙っていると、修平は、ごめん、とあやまった。
「やっぱり、答えなくていいよ。俺も、あさみさんと会いたい理由なんてよくわからないし」
そう言った修平の顔は、困った表情になっていた。
「私、修平の体、好きよ」
全然答えになっていないことを言いながら、私は、自分が目の前の男と同じ表情になっているのだろうな、と、思った。
「修平が私の中にいると、とても満たされた気分になるの」
本当に言いたいことは決して伝わらない気がした。それでも、修平の困った顔を見ていると、どうしても私の気持ちを伝えたくなった。
「家にいると、修平のことを思い出すわ。あなたのキスとか、抱きしめてくれる腕とか。私の足りないものは、あそこにあるんだってそう思いながら、寂しくなるの。ひとりでいるときは、とても空っぽな感じがするわ」
嘘ではなかった。現実世界で満たされない欲望を、私はここで満たしている。修平の気持ちは時に少し痛かったけれど、それでも、ここに来るのは、居心地がいいと感じていたからだ。
めずらしく饒舌な私に、修平は目をまるくしていたけれど、
「そっか」
と嬉しそうな顔をすると、抱きついてきた。手に持っていたカフェオレボウルが揺れ、ジャスミンの香りも揺れる。
私を腕の中に収め、耳朶にキスをしながら、修平が囁く。
「だんなさんには、感じないの?」
言われて、ふと、圭一のキスを思い出す。穏やかで優しい、眠りを誘う静かなキスを。
「……忘れちゃった」
そうこたえた自分を、私はずるいと思った。

 
   
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