抱けないカラダ  


2  

 

窓の外は、都会のイルミネーションで、時間を感じさせない明るさだ。
仕事が終わり、服を身につける前に、涼子は必ず裸のまま窓に近づき、外を見る。
そこからの景色を見るたびに、自分がその明かりの中にいないことを実感できるからだ。
あの明かりの外で今の自分は、何の偽りもない、本当の自分。
何も纏わず、何にも縛られず、ただ、自分の本能のままに存在している。
この部屋からは、暗い空に浮かびあがる東京タワーが見えた。

「リョウ」

不意に耳元で名前をよばれた。
振り向くと、さっきまで涼子の体と行為を見続けていた男が、優しそうな微笑みを浮かべて立っていた。
「いつまでもそのままでいると風邪を引くよ」
涼子は無言のままうなずくと、ベッド脇までもどり、脱ぎっぱなしになっている服の中から、下着を手に取った。
「リョウは、いつも笑わないね」
男、というよりは少年といった印象の彼――咲坂と言うらしい。三度目の仕事のとき、突然男はそう名乗った――は、笑いながらそう言った。
「まぁ、僕は、きみのそういうところが気に入っているんだけど」
にっこりと微笑むその表情は、本当に幼く見える。
「別に……。楽しいときには、ふつうに笑いますよ」
服を身に着けながら、涼子はこたえた。それは嘘ではなかったし、どちらかといえば、普段の涼子はよく笑うほうだった。
「ふーん、じゃあ、今は楽しくないわけだ」
咲坂は、面白がるような口調で言う。
「だって、楽しいっていうのとは、ちがうでしょう」
涼子が呆れたように言うと、それもそうだね、と楽しそうにまた笑う。
一体、この人なつっこさはどこから来るのか。
咲坂とはすでに何度も会っているけれど、涼子にはそれが不思議だった。
それでも、自慰行為を見るためにホテルによんだ、ある意味玄人の女の前で、こうも無邪気に笑える咲坂が、嫌いかといえばそれはちがった。
「咲坂さんって、不思議な人ですね」
思わず声に出して言うと、咲坂は心外だという顔をする。
「そうかな。分かりやすい、とはよく言われるんだけどね」
「いいえ、とってもわかりにくいです」
それに、と涼子は思う。
あなたは今までの他の客とはちがう、そう言いかけたけれど、その言葉は、どうしてだか声に出せなかった。
わかりにくい、と言われた咲坂は、声を出して笑う。
「そりゃあ、ね。きみとはまだ、そこまでの仲じゃないから」
そこまでの仲、というのはどこまでだろう、そんな思いが一瞬涼子の頭をよぎったが、それははっきりと自覚される前に消えていった。
「じゃあ、あたしはこれで失礼します」
仕事は終わった。これ以上ここにいる理由のない涼子は、仕方なくそう口にした。
「ああ、ありがとう。やっぱりリョウは一番だよ」
破格の笑顔でそう言うと、咲坂はひらひらと手を振る。
次があるのかは知らない。涼子には知る術がない。それを望む理由もないはずだった。
ドアが閉まる直前、咲坂の声がした。
「またね、リョウ」
涼子は思わず振り返り、すでに閉じてしまったドアを見つめた。
またね、咲坂はそう言った。
その言葉を聞いた涼子は、自分でも気付かないうちに、ほっとしていた。
ルールに従い、涼子に触れることもなく、自分の愉しみに耽ることもない。
咲坂は、ただ涼子の体を見ているだけの客だった。

この仕事をはじめてからだいぶ時間が経った。
今までだって、涼子には常連とよべる客がいた。
それでも半年も指名しつづける客は、咲坂がはじめてだった。
半年前、はじめて咲坂に指名されたときのことを、涼子はあまりおぼえていない。
いや、部屋をおとずれたときのことならおぼえている。
間違いました、と部屋を出ようとした。
おぼえていないのは、服を脱いでから仕事をし、ふたたび服を身につけ、部屋を出るまでのことだった。記憶が飛ぶほど感じたのだろうか。


――見られて興奮するなんて、すごくいやらしいよね。

客のほとんどはそう口にする。そうして乱れる涼子を見ながら、自分で自分を慰めるのだ。
指を舐め、乳首に手を伸ばすと、客は言う。

――それを私の指だと思って、下もさわってごらん。

涼子はその言葉にいつも従順そうにうなずいていたけれど、実際にそんなことを想像しながらやったことは一度もなかった。
自分を慰めるのは自分の指で、涼子にはただ見ている相手がいればいいだけのことだったから。
相手は誰でも同じだった。
自分を見ている視線さえあれば、それで満足。何も感じない苦痛なセックスに比べると、涼子にははるかに簡単なことに思えた。
人に触れることも会話することもない。
こんな楽な仕事はない、涼子はそう思っていた。
はじめたころは、まったく知らない場所で、まったく知らない相手と会うこと自体が不安で仕方なかったが、そこでやっていることのクレイジーさを考えると、そういったことはたいした問題ではない気がした。
実際、システムは会員制だったし、どんな職業の男たちが所属しているのかは知らなかったが、それでも、待っている客はいつも高級なホテルを指定してきた。

夕方までに事務所に電話をする。
仕事が入れば折り返しでメールがくる。
メールが入れば、そこに書かれている場所に行って仕事。

それが基本的な流れだったが、涼子の場合、すでにほとんどが二回目以降の客だったので、前もって一カ月分のスケジュールが組まれていた。
誰がいつ、ということは知らされてなかったので、その日に連絡が入るまで、どこに行かされるのかはわからなかったのだけど。
咲坂以外の客は、ほとんどが三ヶ月くらいで去っていったが、それでもこういうところを利用する人間には何かのパイプがあるらしく、涼子の指名が絶えることはなかった。
大学を出てすぐに就職した大手の広告代理店は、二十七の涼子が都内で生活するには十分の収入を与えてくれていた。当然のことながら、ぜいたくな生活を望まなければ、それはきちんと生活できる金額だった。
もともと、お金が欲しくてはじめたわけではなかったから、毎週二日、月に最低八回、と涼子は決めていた。
三年前にはじめたときから、この仕事でそれ以上稼いだことはなかった。

月に八回。

そのうちの何度かが自分を満足させてくれれば十分だ、そう思っていた。

 
   
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